思う事。

先日は夜更けに、思い立って書いた記事を
放置してしまっていたので、少し修正。
酔って書き出すと、言わんとする事は、
わからぬでもないが、わからんものとなる。
反省しつつ。





谷崎潤一郎の『陰影礼賛』は実に美しい言葉で
空間が表現されている。
自分は上手く語る術はないのだけれど、感じる
事を大切にしている。それが設計の術となる。


基本は、ただ感じること。これが最も大切。ただ。
単純故に、既成の概念や思い込みに影響され易い。
生物である人間は、言葉を通じ、識別の能力を
身に着けることが出来るけれど、同時に生理的に
空間を把握、感じることも出来るのだと思う。


例えば、『心地よい。』これは使いふるされた、
建築を語る常套句ではあるものの、感じる
レベルでの『心地よい』を的確に表現した物は、
実はないのではと思う。説明困難な生理的感受に
支えられる感覚ではないだろうか。


この感覚は頭では理解できない類であり、故に
説明は難しく、デザイン解説書も存在しない。
自身は今だ、この感覚を伝え、設計手法を
解いた、説いた読み物に出会った事がない。


LEDが多勢になりつつある今、蛍光灯と
電球の比較どころではなく、蝋燭と電球を
比較して述べる『陰影礼賛』は何世代も
前の感受に支えられるもの。これを実感する
ことは難しいけれど、求める何かが在る事を
想像の範囲にすることが出来た類を見ない
書き物であるように思う。根拠、論拠、方法
ではなく、個人の感覚で述べるに過ぎないと
しても。


設計の業務は難しい。説明困難な事柄でも、
施主へ確認する義務がある。取り違えられる
事を避けるのもまた、難しい。時に、理解を
深めることなく判断を頂く事もある。


ご自身で判断した事が何だったのか?
私に出来るのは、その微細にして決定的な
違いを案内することだけ。


国内外に、数えた事はないけれど、おそらく
千の単位で様々、多くの実例を体感してきた
自分の感受が、自分の設計の根幹をなしている。
これを元に、言葉にする訓練を課しつつ、
まだまだではあるけれど、自分の感受にも耐える
設計を志し、求め、提案したいと願う。


成果は、出来た建築を見て、判断を頂くのみ。
直ぐには理解できなくとも、住まい慣れた暁に、
なるほどと思って頂く日があるものと信じて。