光。

自然の中に在る造詣は、確かに美しいのだけれど、
そう自分が認める事ができなければ、何も見えず。
訪ねたのはいつもの水源池ではあるけれど、
珍しく早起きし、未だ薄暗い森に入り、陽を待つ。
6時半を過ぎた頃、木々の隙間から陽が差し始めた。


『光』が面白く、あれこれと気が付くこと多々。
差し入る光はまるでスポットライトのよう。
照らされ浮かびあがるもの、逆光でシルエットを
際立たせるもの、まだ暗い闇ある空間に入る光は
極僅かにして極めて強烈、強いコントラストを
生み出しつつ、やがて明るくなってしまった。


未だ虫は飛ばず、鳥は鳴かず、水盤の波は小さく、
風は優しく、そんな静寂。



昼の高い陽は上から光で押さえつける光、朝の陽は
横から、隙間を縫って差し入る、まるで閃光。


雑木の枝葉も、スポットを浴びてシルエットを
浮かび上がらせ、何か特別を思わせる。


朝の森が好きなのは、まだ潤いが残ること。
朝露がびっしりと笹の葉を覆う。何かの拍子に
それが流れ出し、時々大きな水滴となる。


水滴はレンズとなってその向こうにある像を
反転させて写し込む。


広場にはところどころ、森の隙間か流れてきた
光が照らしだすステージが出来ている。
木陰の逆を表現する言葉を知らない。


まだ若い草葉、水を湛えて青々と伸びる。


この光は徐々に広がり、後に木々の陰で覆われる。


7時半も回ると随分暖かく明るくなる。
虫が飛び始め、鳥が鳴き出し、キツツキが木を
突く音が森に広がりだす。足元には小さな花。


水温む。気が付けばもう夏が直ぐか。一年で一番、
太陽の長い季節、まもなく短くなり始める。



と、気持ちよく詩人にでもなった気分で書き出した
日記記事。失礼しました。


建築は自然を相手にするので、なかなか言う事を
聞いてくれることはない。何ら変哲のない風景に
多くのヒントや摂理、自然な様があるのだろうな。


デザインを試みる時、「こうしたい」と思うことと、
「こう在るべき」という無理のない様と、同時に
考える事になる。何かしら自然の様と向き合い、
そこで何をか感じる事は欠かせない経験。