本日の札幌の地下街・・・から始まる雑談。

札幌市役所からの帰り、地下街へ降りると照明が薄暗い。
どちらがオーロラでポーラだったか覚えていないけれど、
どうやら年に一回?の全店閉館のシャッター日であった。
驚いた・・・人多い平日の昼間に全ての地下街にシャッター!


何事?何か危険?彷徨いこんだ?ココドコ?であった。


地下街に面するビル地下のお店は無関係であるらしく、
好んで通う珈琲屋は無事、駆け込むようにして入り聞く。
笑顔で教えて頂いたけれども、知らない人は驚くよ。
木曜は一斉定休日かと信じたくなってもいましたし。


・・・いや、騙されていたのかもしれない。
私は、違う時空に来てしまったのかもしれない。
真空にはエネルギーがあり、宇宙はマルチバースらしいし。






と言う事で、宇宙は年々分かり難く何でもありになって行く。
地球の外≒”SPACE”を超えて唯一の宇宙≒”universe”と
聞けば、私は直ぐにミース・ファン・デル・ローエを思う。


白黒写真を質悪くスキャンすると・・・実に古めかしく、
けれど、被写体となる建築は、奥に写る一般建築に比べ、
均質空間を持つ自由な、実に今日的な建築に見える。
・・・見えませんか?


100年弱前にスペインはバルセロナに建築された建築。
今も見ることが出来る。


ユニ・・・と聞き、ユニバーサルスペースと聞けば、
今はバリアフリーの空間が思い浮かべられるかもしれない。
でも本来は、もっとプリミティブな、自由な空間が模索され、
それが何時しか意味合いは変遷し、違うニュアンスを得ている。


”空間”を求めて設計に携わる自分が何故か学生時代に、
コルビュジェでもライトでもなく、ミースに可能性を感じた。
今ある自分の設計は、出来るだけ自由でありたいと願いつつ、
そうではない、空間質のある建築を志している。


これまで設計してきた建築も、今取り組む建築も等しく、
人の在る風景を創造したい。


そういう自分にとり、変わらぬ日常のあるはずの街中の、
最たる風景の異変は妙に心に残り、その新鮮さが驚きだった。


バリアフリーに拘るあまり、バリアーを作る条例その他。
市役所で訪ねた建築福祉関係の部署、段差の有る無しに拘り、
遵守義務の求められない建築でも届出書では不適となる。
建築用途を考慮し、車椅子にも対応する1階と、そうではない
2階の環境を考慮した設計であるものの、エレベーターの有無で
不適と判断する。
規模を考えると、設置出来ても住宅用途レベルのEV、
勝手を考えると不足であり、実用にはならないのだけれど、
杓子定規にバリアフリーを求めると、それが適切となってしまう。
ユニを求めておいて実はマルチな世界。
マルチを認めつつ、実用上の問題を解消しユニを求める設計。


嘆きさ加減では設計努力を与しない法制度には憤りを覚え、
驚き加減では非日常以外の何ものでもない地下街に驚きを覚える。


星新一なら、もう少し面白く痛切な比喩を書くのだろうな。。。






ミースのバルセロナ・パヴィリオンは、建築史における金字塔。
現代建築が未だに抜け出せない世界観を保持して且つ誇示される。
にも関わらず、何もない。希薄な空間があるのみなのだ。
今在る建築は再現なのだけれど、当時、あれだけの努力をし、
高価な建築が築き見せたものがユニでしかない単一世界の価値。
縛られる今の自分。
平日昼間にシャッター街的な、マルチな世界観を築けないものかと、
抗ってみたい。


・・・酔って書いた他愛の事。