カンブリア。



5億年以上の昔、カンブリア爆発という事象があったという。
それまでの数十億年の間の生命は小さく微かな存在に過ぎず、
この時に、今へと連なる様々な生物デザインが試されたらしい。


春の森で出会う様々は、当時はこんな見慣れぬ情景だったのでは?
ふと、思うことがある。


夏の、競争の厳しくなる季節の生き物は洗練が欠かせない。
効率や有利、計算できるより有効な様として洗練は必然なのだろう。


対して春の生物は先手必勝を身上にしているように思える。
水芭蕉など、確かに遠目からは綺麗なのだけれど、
あのブクブクと肥大化して行く様は正直、不気味ですらある。


春に一斉に芽吹く生命は、そんな挑戦的なスタイルが似合う。






写真の花、やや黄色を帯びるのはおそらく花弁、オシベは巨大、
メシベ?に至っては摩訶不思議なカタチをしている。
おそらく夏場には見かけることのない、独特なデザイン。


春は、そんな不思議な造詣が森に溢れ、世界が広がっている。




この植物、確かに植物の道理に則るのではあるけれど、
このようなデザインがなぜ許されたのだろう?
人を馬鹿にしたかと思える程の大胆さに必然性を見出せるほど、
人の作り成すデザインは進んでいないのでは?と思えてしまう。


そう思うと、まだまだ自分達の環境は爆発できるような、
大きな可能性を秘めた世界でしかないのではと感じてしまう。
・・・時々、小さな世界から大きな夢をみてしまったりします。







札幌祭りの喧騒も去り、すっかり夏を思わせるような今日の朝。

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