北海道開拓記念館 その1

開拓記念館が生まれ変わるらしい。
11/3を最後に1年半程の間、閉館となる。


今自分の住んでいる所には何があったのか?
感じた疑問から縄文なんかに興味を抱き、
結構、あちこちと道内を巡ってきた。


開拓記念館が最も指標となる博物施設、
ずいぶん、お世話になったところでもある。
時系列での展示は、道内ではここしかない。
・・・たぶん。


あちこちで見たものが、どの時代のもので、
当時の他の地域は?その前後は?というような
総体的で相対的な理解には打って付けだった。


かれこれここ5年位の間に何度通ったろうか。
石器作りや土器作りにも参加させて頂いたし、
学芸員さんにお話を聞けた事も幾度かあったし。
受付や係りの人とも挨拶するような感じだった。


開拓記念館の事なら任せてくれ!というレベルの
達人のつもりで訪ねると、知らないものが山ほど、
みつかるという具合の博物館だった。


上の写真は、開拓時代の測量機。こんな機械で
測ったものが、道路や土地、区画等、今の我々の
生活の基盤になっています。


何条何丁目、のような表現は当時の測量技術と
関係が深い。基本的な号線は北海道は全域で
同じ寸法です。大きく区画下部分を何分割するか、
これで地域にやや個性は出てくるのだけれど、
当時の測量に因る事に間違いはありません。


全く、不思議な思いのする出会いでした。






何時もは大抵、オホーツク文化までで力尽きる。
なので、それ以降の大半の展示は興味の向くまま、
眺めて過ごすことが多かった。のだけれど、
ちなみに今日は、これに目が留まる。


地下の資料室にあった古めの漁具。ラフスケッチで
失礼するけれど、これは『ヒヨリガイバサミ』。


幾つかの支点のある巧妙な仕掛け。おそらく、
片手で操作する漁具の先端部分。紐を引くと
挟みが閉じるのだろうと思う。


漁具関係はどれも先の尖った鉄製具ばかり。
ウニやアワビ、ナマコを刺しまくっていたようだ。
妙に痛々しく刺々しい鋭利さに、今日気が付いた。





近辺に古い時代の地図があった。
先日の小幌、この地図には載っていない。
礼文華らしきはある。長万部も。
有珠には既に善光寺が記されていた。
善光寺は当時既に、良い場所を選んでいたのかー


この地図の製作者は松浦武四郎です。安政6年。
安政?約150年前のことらしい。
ちなみ、明治20年(約120年前)の地図は、
もう今の地図のよう。




住む場所への理解、助けて頂いた今の展示に感謝。


ついでに、これまで描いたスケッチをその2で
案内しようかな。