シェアハウス


例の如く、即興のスケッチではあるのだけれど、
楽しかったので描くことができた。


テレビでもあったらしいので、注目もあるのだろう。
シェアハウス、言葉は新鮮でお洒落にも聞こえる。
実際は目新しいものでもない。


学生の頃、遊びに行った社会人の先輩は、2LDK
住まいをやはり先輩とシェアして住んでいた。
学生時代を知る二人、どちらも設計事務所勤め、
家に居る時間は極僅か、寝る時間の方が長い様子。




友達や仲間、という響きは良いのだけれど、
プランを考えるとそれそうとうに悩ましい。
結局は住宅と同じなのだと理解できる。6LDK、
8LDKという具合、住まうのが確かな絆のある
家族ではなく、隣人=友人という絆の家族的な
任意の人達。
こう考えると、取り組みようが感じられてくる。


家族であっても、多様性のない住まいに押し込められ
ると息苦しくなるものと思う。他人の集まりでは、
様々な逃げ道、抜け道、適度な近道が必要だと思う。


個室の考え方は子供スペースに似るように思う。
そのスペースにトイレやキッチン等が備われば、
充実して完結できるのでソーシャルアパートメントに
近づき、極力狭く最低限の装備として、多くを共用の
スペースに割り当てることが出来るならシェアハウス。


多くの共用スペースが確保できると、ゆとりがあり、
プランは多様性を模索することが出来る。
最低限でも回遊性は確保したい。又は、室所要空間を
考え、またはLOFT等も考えると、木造建築なら、
かなり自由な断面構成、例えばスキップフロアーの
ような多層も可能だろうと思う。より”多様”に。


個と個の関係、社会的なつながりによる生活を共に
する身近な存在を適度な距離で保つ事のできる家、
そう問題を解き明かすと俄然、興味のある建築の
類型に思えてきた。


集団行動が好きなのは建築が好きなのと通じるけれど、
自由を信じるの術は設計手段にも通じる自分、
その自分でも住まえるシェアハウス、想像する時間は、
とても興味深いものに思えた、のであった。