北側採光

江戸東京たてもの園』には興味深い建築が在った。

一際モダンな建物は写真館らしい。既に夕暮れ、
閉館間際であったのだけれど、これは見逃せない。
北側に大きく設けられた大きな窓に心奪われる。


既に陽は低く、当然北側は濃く陰りが満ちている。
しかし、中はご覧の通り光に満ちている。
北側採光の威力は絶大。照明技術の無かった頃、
自然光をどう使うのか?光を映す写真にとって、
欠かせぬ絶対条件となる。


札幌では開拓記念館にやはり写真館の建築が在る。
この時も既に夕暮れ、日は低く傾き、北面には
陰が濃い。しかしながら、傾斜屋根に設けられた
大きな窓に心奪われる。


中はご覧の通り、当然の如く光に満ちている。
北側採光の威力は絶大。照明なしに写真が撮れる。




『空間』は体で覚える。感じるものとも言える。
体感在る空間を創る方法は各々が探すしかない。
誰も教えてくれず、解法を説いた教本もない。
正解はない。いつも生み出されるのみのもの。
自分は設計の際、体の覚えている体感を大切に、
設計において、最も適切なものをいつも探す。
また、探したいと願い、取り組む。


『光』もまた、感じるものであるように思う。
事例を知っていても、見様見真似で達成できる
容易なものではない。と言って芸術的な創作が
生み出すというよりも科学的でもあるもので、
それが相手が自然である以上、大いに悩ましい。


光が無ければ空間は広がらず、陰に沈んでしまう。
谷崎潤一郎の陰影礼賛で描かれる陰を求めるのは、
今は更に難しい事にも感じられるのだけれど、
光を上手く活かせるのか?常に大いなる設計課題。


写真というのは光を映すこと。フラッシュや照明、
人口光源のない時代、写真館は建築自体が良質な
光を必要があった。もれなく北側採光を採用して
いることに嬉しさを覚える。
画家のアトリエも北側窓が定石であると思う。


光は直接の陽を求めるのはなく『天空光』を使う。
ここが最も肝心なこととなる。空は明るい。
日の出から日没まで安定して明るく、曇天でも
明るく天候に左右され難い。


写真館の事例では壁から屋根面まで、北面一杯の
開口部がとても印象的。どちらも夕暮れに訪ね、
当然陽の光など直接入ることのない状況であり、
室内撮影ではISO感度を上げざるを得ない状況に
なる頃にも関わらず、流石に写真が撮れる。
この知恵、誰がどう伝えて普及したものなのか、
見事な様を実感させられた。
実際、外よりも明るいとすら感じられる。


北側採光窓は自分の設計ではしばしば用いる。
このブログのタイトル画面も北側採光高窓だ。


一般に採光は南側に求める傾向が強い。殆ど、
信じられていると思える程に揺るがない傾向。
日常の環境において、北側窓の効果を知る機会、
稀ではないかと思う。


自分はこの採光の効果を特に実感したのは
北欧を巡った際であった。9月中頃だったろうか、
午前10時近くならなければ昼間に思えず、夕方は
3時を回ると明らかに薄暗いような陽の短さだった。
訪ねた建築、暗くて写真を撮るのに実に困った。


出会った建築、そもそも南側を信じてはいず、
空の明るさを上手く取り込み、自然光を使い、
室内の明るさを高める知恵が備わっていた。
これまでも、このブログでスケッチを添えて
案内しているものと思う。


自分はこの時に初めて光を確信することが出来た。
体で覚えた光、今はこれを実践している。


設計では多くの場合、クライアントには不安を
感じさせる北側窓、けれど、オーナーとなり
過ごされて後に尋ねると実際を聞かせて頂ける。


ブログタイトル写真の住宅、夏は陽は入らない。
入れば暑くなってしまうので、冬は低く奥まで
入るけれど、そもそも傾いた光は明るさよりも
陰が長く印象的なものになる。明るさは基本、
この北側高窓が担う。日の出から日没まで、
天候に左右されず室内はいつも健やかに明るい。




北海道文学館で催されていた谷崎潤一郎展を
最終日に見てきた本日。ここ数年、好きで
何冊も読んでいるのだけれど、中でも、
『陰影礼賛』は特別なもので、愛読書かも
しれない。機会を作りまた読んでみたい。
光あれば陰がある。どちらも建築に在る対と
なるもの。『光』を得て『空間』を求む。