岩見沢。(長文です。未だ編集中です。)

北海道の街は一辺約540mの区画を基に造られている。
この長さは開拓入植時の測量技術精度に拠るらしい。
河川を伝い出会う開けた土地、湿地等を避けた場所に
基点を設け、おそらく川や山を確かめ、最も効率的に
区画できる方向を定めて測量したのではと思う。


(写真は北海道開拓記念館で撮影の測量器具。)


区画は碁盤の目となり人口増に伴い拡張されて行く。
伸び行けば後に隣の碁盤とぶつかり、重なる。
街区の妙な角度ある道はその衝突の痕跡と言える。


540mの区画、都市部は細分化され市街化して行く。
線路や幹線道路はその区画に沿って形成され、伴い
細分化はそれらに平行に行われる事が多いだろう。


この分化には地域性があるようだ。2分割、3分割・・・
例えば沿岸部の街はより細かく分化される傾向がある。
元々狭いエリアをより多くへ分配する方法だろう。
函館のような古くから開かれた地域は事情が異なる。


・・・記載幾つかは昔調べた事。それを想像で補完した
   私の考えなので、正しいかどうかは不明です。




『 岩 見 沢 』

10年以上前、とある設計に際し、同業友人と調査し
歩いた。不思議な街並みはとても印象的で忘れ難い。
所用で訪ねた先日、時間があり久しぶり歩いた。


地図を眺め気付くのは、岩見沢市街の分割が小さな
真四角形状になっていること。
線路に平行する1条、2条・・・という通りと、
直行する1丁目、2丁目・・・という通りは、
真四角の区画のため同じ長さ、全てが表の顔となる。


この区画は他の街に比べて小さくはあるのだけれど、
四方どこからもアクセス出来る街区、小さな建築を
外周に並べると中央が余白となり余る。この余白を
建築すれば、違う通りに面する別の建築が結びつき
巨大化することが可能。そして、この余白が周囲の
道路へ通じれば容易に路地の生まれる構造でもある。


結果、他ではなかなか見られない独特な街並みが
形成されているのが岩見沢ではないかと思う。
条通りは表の顔、丁通りは夜の顔、という区別。
これが同じ長さがあり、一地域に混在する仕組み。


間口狭く細長い建築は、路面店を多く確保できる
側面が正面となり路地に面し、本来は正面となる
通り側にゴミ箱が並んでいたりする。表通りは
雑多となり、対して魅惑的な路地があちこちに
出現する街区。つい、引き込まれてしまう。


中心市街地は小一時間も掛からず目抜き通りは
歩けるものの、路地に引き込まれて歩くなら、
何時間でも時間を費やせそうな魅力的な街だ。


駅前風景はここ10年で随分変わり、今は空白地が
目立つ。街全体としても古い木造建築は相当数が
減り余白が広がっているものの、駅南東方面に
広がる飲屋街の雑多さは健在で、実に面白い。


面白いけれど夜の街に踏み出すには怖すぎる程の
異界が広がっているよー


路地内で出会う建築は正面性を気にせずに在る。
本来は見せぬ様を露骨にし経年の風雨に耐えた様、
人の生活跡というよりは、まるで室蘭の断崖絶壁を
見上げるような自然の荘厳さを感じてしまう。
・・・凄まじい迫力だ。


人が住んでいるのか居ないのか、入り口が何処だか
定かではないこの建築、当時は立派だったに違いない。



かつて内部はクランクして繋がる廉売がこの建築に
あった。今は総菜屋一店舗のみが運営されている。
立ち寄れば良かった・・・何かお話を聞けたのかも。


2階のドアはトマソン。かつては上階に何かしらの
工場があり、搬入・搬出に使われていたのかも。
周囲から伺えないものの相当な規模の建築、今は
人の痕跡は乏しく、多くが空きスペースだろうか?



一階にはテナントが入っているこの建物も、
上階への入口が不明、見上げると廊下だろうか?は
在るものの人が住み使っているようには見えない。


古い木造建築は次第に取り壊されて余白を生む。
鉄筋コンクリート造の建築は取り壊し費用も高価、
そのまま放置されるように取り残されている印象。
メンテナンスされずに経年の変化を表情として、
昼間に眺める街並みは異様でもある。
古い中心市街をどう活性するのか?
そもそも可能な事なのか?様々を考えさせられる。




嘗て在ったこの建築は所謂廉売の『ナカノタナ』。
この建築との出会いが様々を観察する切欠となる。
街区を一文字に貫き通したこの建築、おそらくは
別々の建物が時を経て結ばれたものと思われる。
調査時は既に開いているお店は僅かであったけれど、
市内他の廉売に比べても異様に巨大な建築だった。


なぜこんな建築があるのだろう?


私の調べた範囲の考察ではあるけれど、そもそも、
岩見沢はなぜ発展したのかという疑問があった。
レンガや石炭の産地でもなく、特定のものはない。
ここは鉄道の街であったようだ。


夕張から連なる山々と石狩川の作った扇状の地の
際に岩見沢はある。おそらく地盤が良い。
鉄道基地を造るには最適な場所、そして、夕張、
美唄、赤平などの炭鉱と、当時の出荷港となる
小樽とを結ぶ線上に在る。


炭鉱地域から石炭を集め、これを港へ運ぶ。
対価としてお金が岩見沢を経由して炭鉱の町へ、
労働者へと渡る。労働者はそのお金を携えて、
この岩見沢へ遊びに繰り出す。
・・・こういうストーリーが在ったのではないか。


数多くの廉売=市場は、岩見沢市民のみならず、
周辺地域の食を支える存在、飲み屋街の大きさは、
周辺地域の人も利用するからだったに違いない。


発展の状況、今は衰退の条件ともなるのだろうか。
細かく再分化された街区や古い建築、おそらくは
土地所有者の複雑化など、整理は難しいだろう。
駅や周辺、駅前は整理されて綺麗ではるものの、
作られたゆとりのスペースは閑散とした寂しさも伴う。
広ければ良いのではなく、地域に相応しい、又は
地域の持っていたスケール感覚は大切にしたい。






故郷の街で活性化を考えたことがある。


建築が古び消えて行き街並みが閑散として行く様を
一つのモデルとして図柄にしている。


敷地を空白(=白)、存在する建築(=グレー)と
した表現では、白地が増えて空虚感が増して行く。
これを増えた空虚なスペースを主として眺めると・・・


路地が生まれ行く。これを活用する事が出来れば、
これまで在った街並みのスケール感を保ちつつ、
新しい動線となり、これまで見えなかった街並み、
表情や発見できる環境が出来るのではないかと
考えた。実際には地主の意向があるので、行政が
どうこう出来るわけではないのだけれど。
ただ、地域を活性させる方法に成り得ると考えた。


隙のない堅守な守備体型の昨今のサッカーでも、
そのフィールドで、時に目の覚めるパスが在る。
ちょうど、そんな感じのパス=路地が生まれれば。




岩見沢を一つのモデルとして考えた事がある。
巨大な駐車場とモールのある郊外のショッピング
センターは購買では魅力があるけれど、空間には
魅力を感じられない。ただただ広い。
既成街区の大きさ、スケール感はヒューマンであり、
発見や出会い、利用には楽しさが伴う。
これを如何に利用するのかを思案した。


岩見沢モデルで使ったのは現駅の改修事案。
大地に刻まれた発展からの軌跡、これを拡張するもの。
軌跡を押し広げ、地面から切り離して折り曲げ重ね、
重層化させて拡張し、これが既存の街並みに接続する。







具体的にはこのような具合をイメージしていた。



表現すると、このような感じになりました。


古び失い、時を経るに従い取り返し難くなり、
切羽詰まるに見える現状も風景なのかもしれない。
それでも、建築に携わり、建築のみならず周囲、
周辺を眺めそこから多くのヒントを得ては設計に
取り組む自分のスタイルは、それが一つの住宅で
あっても変わらない。広域の視点を欠かさず、
踏まえて住環境を考えたい。
時にその目線を都市レベルのスケールで観察した
のだけれど、この地域にはまだ捨てるには惜しい
楽しさの可能性を秘めている事は疑えず。
そして、活かす機会があればと望む。



調査して歩いた際に発見したとびっきりの建築は
今も存命だ。夜の街にある建築を昼間に眺める。


今は新築別店舗に名を譲り失われた『ナカノタナ』と
等しく驚かされた建築。木造ながら3階もある建築群。
隙間なく連続し、一体の建築となり、今も在る。
こちら側は裏側で、向かいに細い路地があり、対面にも
同様な建築がある。炭鉱全盛時代には活況を呈したの
だろうか。当時の面影を伝える古い写真も残っている。


今年は余りにも雪が少なく驚くけれど、豪雪地帯の
岩見沢で数十年の時を耐えて今もある。
10年前と比較すると、サッシの一部が樹脂サッシと
なり、BSアンテナが増えていたり、しかし、
一進一退で後退傾向は否めない。


建築のあらゆる部分が歪み、水平垂直のない状態にも
関わらず、今も尚、逞しく使われている建築です。


時代の流れに乗り遅れ、発展の起因となっただろう
炭鉱の衰退と共に古び行く街なのだけれど、実際に
眺め知ると実に楽しい。このまま失うには惜しい。
遺産として認められる質はないとしても、
地域の記憶を背負わされている事は事実だろう。





ふと思い立ち、たまには真剣な考察を書き連ねる。
長々と失礼しました。様々な想いを抱えた散策、
その最後に訪ねたのは老舗・三船の焼鳥。
とっても美味しかったです!!