種はもう撒かれていた。  ■S-House vol.3

しばらく動けなくなっていた。無力を感じ、喪失感を覚えた。
何が起きたのか、何が出来るのかを知りたかった。
楽しむことを忘れ、ただ呆然と眺め、過ごしていたと思う。






建築というのは、人の生を活支える器に他ならない。
どのような状況にあっても欠く事のできない器だ。


既にもう、建設業界は騒然とする勢いに包まれている。
多くの建築材料、製品工場が被災されているらしい。
製品流通は滞り、北海道でも工期が見えなくなっている。


おまけに、桁違いの資材が、被災地に運び込まれるべく
準備もされている。知っているベニヤ工場は、頭を抱える
程の量を前に、ともかくフル稼働で対応するらしい。




被災地は死んだわけではなかったのだ。




それどころか、尋常ではない再生治癒能力を発揮し、
生命溢れる、新たな春に向かっているのかもしれない。


無事な者は無事である以上、動けるだけ動くしかない、
そう覚悟を固めつつあった自分だけれど、この自体は
身動きさせてくれないほどの勢いになりつつある。


「被災地が優先です。」
「そこまでされたら、こっちが何も出来ないじゃないか!」
ケンカしようと思えば、出来るくらいに元気かもしれない。


被災地用に整えられたものの中から、霞め取ってくる
くらいの勢いで臨まなければ、立ち竦むしかないくらいだ。
(無意味な買いだめなんかではなく)遠慮なく、競って奪い
合うくらいの元気のある方が、断然楽しいに決まっている。


「あの時は、本当に参ったよ。」という、数年後の笑い
話の種が、もう数多く撒かれていることを知り、今日は
久しぶりに笑うことが出来た。負けてはいられないのだ。





今日は4月に着工する住宅の打ち合わせだった。
帰りに敷地を覗くと、去年の落ち葉が、雪の中から顔を
出していた。緑の葉も、茶の葉も生命を感じさせてくれる。