何時からか、木が気になっていた。春の森を歩くと足元の小さな木に気付く。


お寺の仕事の際、組子を創作した。都合、職人さんの家に頻度高く出入りする。
その際、大切に育てられた盆栽をしばしば見せて頂いたのも印象的だった。






  

秋遅く、森で種拾いをする。ここまで落ち葉が積もるとドングリすら見当たらない。






  

何の種かなど、さっぱりわからない。ともかく木と思しき種を様々に集めてみた。
(並べだしてしまったので最後まで並べてみたけれど、実にしんどい作業であった。)




松ぼっくりからは信じられないくらいの数の種のようなものが出てくる。
落ち葉の下からやっと見つけたドングリや痛い思いをして拾った栗、
さくらんぼ的な果実、プロペラ状、飛行機?状の何かなど十数種類を拾う。
ホオノキの実は実に不思議。あれで全て種が落ちる仕組みはあまりに絶妙。




とりあえず、水をあげ続けて待つことにする。10日程が経過した頃だろうか ・ ・ ・






  

先日、芽が出た。何の木かは知らない。未だこの一種だけ。けれど、数十本はある。
一つ二つと数えてはいけない。木なのだから小さくとも「本」と数えるべきだ。






趣味はと聞かれれば「木を育てています。30本くらいでしょうか。」と今は答えられるナ。
30本は間違いのない数字。それはもう森を育むに等しい壮大なスケールではないか!
何本かでも来春までに双葉が付かないか、研究しつつ観察しつつ楽しみつつ。






松系もプロペラ系も未だ動きがない。果実系は腐らせないといけないのだろうか?
このような微塵の粒が本当に木のような大きな存在となれるのだろうか?
ついには遅い秋の頃の森の中のように、落ち葉を降り積もらせることができるのか?


森では勝手に育つものもの、眺めだすと全てが不思議でならない。



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