置いてみる。


良い寸法を手に入れると、ついあれこれ試したくなる。
前の日記のアルテピアッツァ美唄にある彫刻、
採寸を元に図面化し、自分の設計した住宅と並べてみた。


DOMA/道南の家】と並べてみる。
この平屋の住宅は勾配天井の先は約3.6mの天井高さ、
その奥行き19m弱のを見通せる。
訪ねた人が「広い」とは言っても狭いと発することは、
まず無いだろう住まいである。


この住宅の大きさはアルテピアッツァの彫刻を並べても
どうこう語れるかなーと思える。
対比が可能なサイズにあるのではと思う。
つまり、人の居る風景が語れるだろうことを、
彫刻を通じ、間接的にも確かめられるだろう。


多分に個人の趣味的な楽しみに過ぎない試みだけれど。





一辺が四間の総2階建、標準的な住宅と彫刻を並べてみる。
ボード類の規格に基づく、最適な大きさを問わぬ建築だろうか。


建売もハウスメーカーの住まいもこのサイズと考えて良いだろう。
大は小を兼ねるので不便はなく間違いはないものの、
人が疎外されるほど小さく見えてしまう。


この家の前庭で遊ぶなら、どこか井戸の底にでも
落ちたような、少し寂しい風景に見えるかもしれない。


大きいことを立派だ、と考えることは出来る。
しかしそれは、並ぶ人が小さく見えるということにもなる。
威圧的に見えてしまっては、立派とは異なるのではと思う。


ファシズムの建築は徹底して巨大で、長い廊下を用いたらしい。
訪ね来た人が萎縮してしまうことを意図して。






自分が興味を抱き、好いた建築はどれもが小さな建築だった。
空間には広がりがあり、奥行きもあるのだけれど、
正確に言えば、「小さく」見える建築。


それらの感覚は残念ながら写真では表現できない。
全く写せない類の、不思議な感覚と言って良い。
知るには、自ら見聞すること以外にない。






昨年、きらりを受賞した【DOMA/yamanote】と並べてみる。
5m弱の吹抜け、14m弱の奥行きを見通せる住宅建築。
やはり、訪ねた人に「広い!」とは言わせても、
狭いと発する人は居ないだろうと思う。


でも、アルテピアッツァ美唄の彫刻と並べても、
違和感を感じないない大きさに納まっていると、自分は思う。
つまり、あの空間に在った、人と環境を調和させるべく
機能していた彫刻のスケール感覚を、
この住宅建築も備える可能性があるのかな、と。


DOMA/道南の家】は周囲に大きさの標となるような
ものが何も無い、田園の中にある。対して、この
DOMA/yamanote】は住宅街に在る。


そういえば、棟が上がった頃、クライアントのご両親が、
その大きさをみて「大丈夫か?」のようなことを言われたと
聞いた事がある。実際、本当に小さく見えるのは間違いない。


自分は「大丈夫です。」と確信を持って答えている。


戸建ての住まいなら、その規模を考えると当然、
人との大きさもデザインの重要なテーマに違いないと思う。


スケールの感覚をデザインするとことは実に得がたい。
設計では、アルテの彫刻すら参照できるほどのこと。


感覚的で、経験値に拠り、見落とされがちなことなのだけれど、
現実には強力な威力を発揮する、建築においては光と並ぶ、
極めて重要で難題、最も基本的な設計要素。


設計に携わる時はいつも悩み深め、楽しむ。


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