日食の観察風景を。

世間ではもう過去の事の様ですが、
一週間前にあった日食での発見を。


非常に科学的な見地から、観察具としてアルミコーティングされた
フィルムを試す。これにより見事な像を得、無事に観察が出来た。


ただ、試したフィルムの星型がね、太陽が星になったわけではない。


・・・子等と観察眼鏡を捜し歩き、手に入れられず。
疲れ果てて入った駄菓子屋で入手したベビースターラーメン
包み袋に過ぎない!とか言うなよ。立派なコーティングフィルムだ。




観察はベビースターラーメンの・・・ではなくアルミコーティングの
フィルムである程度達成されたものの、自分にはもう一つ興味があった。


それは「木漏れ日」。


穴があれば良いのだろうか?小穴を探し、ウィズユーカードという
地下鉄やバスのカード、の穴で試すが上手く行かず、円い光だけ。



諦めかけて、あれこれ試す。距離を取るとボケはじめた。
焦点があるらしい。思わず、焦点する距離を探すと・・・



像を結ぶ。三日月のように欠けた太陽がそこに小さく現れる。


焦点することからも、ピンホールカメラと同様のことと思われる。
実際には見た太陽は上に三日月が残るのに、像は反転し下に出る。


この後に近所の木々を探し回った。確かに反転した下方に三日月が出る。


小さい頃に経験した日食、木漏れ日を観察する機会があった。
しかし、それは単に葉と葉に影ではなかったのか?そういう
疑念を払拭できずに居たのは間違いない。


その疑念を払い、観察できる機会だった。時を経て、ようやく
確信を得ることが出来た。小穴よ、ありがとう。





驚いたことに、焦点するとこの様にあらゆる隙間が変化する。
薄暗い太陽はコントラストの弱い、柔らかな影を作る。
その影が不気味に漂い始める。怖くなるには十分過ぎる。






改めて木漏れ日を考える。
葉は微風にも揺れる。揺れ、葉と葉の隙間は変化する。
その最中に地面で焦点する適当な隙間が生まれるのだろう。
長時間露光で撮れば、面白い写真が撮れたに違いない。


昔から聞く「木漏れ日」という観察手法、実に理に適う。






仮に地球に衛星が幾つもあり、土星のような輪があれば、
実はこんな影が日常のことと成り得るのかもしれない。


そして時々、何物にも邪魔されない奇跡的な日が訪れ、
円い太陽と強いコントラストを作る陽射しに歓喜し、
科学的根拠の無い時代なら世紀末を感じたのかもしれない。


円い時は誰にも見向きもされず、欠けた時ばかり注目される
太陽が少し不憫に感じられた・・・


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