夜景。【編集中】


先週末、函館の現場からの帰り、寄り道をしてしまう。
早く帰ろうとは思っていたはずなのだけれど、
気が付くと室蘭の夜景を眺めていた。


学生の頃に見つけた絶景ポイントは今も健在、
出会う光景はあまりに印象的、今も変わらず。




そう言えばこの夜景、以前にも載せていました。






『建築設計』は『建築デザイン』とイコールでもない。
インテリアは『デザイン』と出来るかもしれないけれど、
建築設計は負う責任が多様であるだけに、安易ではない。


必然のものでありたいと願う。恣意性や流行の刹那なもの、
ある短期の嗜好だけでは、長期に渡り存在し得る理由や
社会的な資本性、長く住まえる根拠を欠くかもしれない。


としても、それが住宅であれば、感情は欠く事は出来ない。
心情を長く満たせる佇まい、何時も相当な悩みとなる。


工場とは、これを美しく見せる必要は皆無であり、
機能性や効率性、合理性が全てと考えて良い建築。
極めて恵まれた、明快な目的に特化出来得る建築。


設計するなら、目的が明快なだけに、美など考慮はしまい。
けれど、特化した機能美は求めることが出来るかもしれない。


実際、装飾性の微塵もない佇まいが、なんて綺麗なことだろう。
人の到達した一つの成果、20世紀的な建築の姿を象徴している。


やや、難しく書いてみたけれど、要は、綺麗だなーと思う。
学生時代からみてもウン十年、個人的にも縁のある室蘭、
さらにウン十年遡ってみても、印象の深さは変わらない。


この年月を経ても魅力を感じるのだから、やはり、工場とは
一つの建築タイプ、人の興味を惹く建築なのだろうと思う。


思えば、近代建築スケッチとして工場を描いたこともある。
方向は違えど、住宅のような、最後は人の生死を受け入れる、
そんな懐の深さのある建築を考える上でも参考の一つ。


久しぶりに眺める姿の美しさに、知っていても感動する。
実際、これほど光量ある建築を設計する機会は稀だろうな。
普段は谷崎潤一郎的深遠を備える奥深さを考えるだろうか。


何事も安易に飛びつかず、刹那に惑わされる事なく、
恣意に頼る事なしに取り組まなければ、道を誤るか?
設計した建築は、自分の生涯よりも長くなければと思う。
その建築の最後を見届ける事は、耐え難く許しがたく。
それが特定個人の要望に沿うものであったとしても、
その要望を安易に刹那なデザインを施すのではなく、
秘めて永らえる魅力を見出せる存在を設計したいと願う。