郡山 (13.09.27追記)



所要で福島は郡山へ。陸路の移動は新幹線。
実際、とても速い。何れ北海道の人も、
この新幹線の速度に慣れる日が来るのだろうか。




東北のこのような風景、個人的には、
ゆっくりと眺めたい・・・余裕があれば。




郡山、夕方に1時間程時間があり、散歩する。
駅前通には新しいホテルなどもあるのだけれど、
古めかしくも堂々とした建築もみられた。


水平線の通る、薄い庇が綺麗だった。




「なかまち夢どおり」は近年開発されたのだろうか、
現代的で賑やかな通りだった。




Z字にクランクするような細い路地が街中にある。
先を見通せない道、北海道ではあまり見られない。
こういう道はわくわくさせられる。




通りはこんあテーラーがあったりする。




これは「陣屋通り」だったかな。ややクランクする。
遠くの建物には通りを意識した看板、「elite」。




振り向くと繁華街、その門にも「elite」。
これは、なんだろう?




その道の先には交通量の多い道があり、
街外れなのだろうか。そこにモニュメントが
建っていた。これが、とても小さい。


それまで歩いていて気が付くのだけれど、
建物はどれも小さく、低い。スケールの感覚は
北海道の2/3くらいに思える。


北海道はやや大作り、間の抜けることは多い。
古くからの街は馬車道のような道の細さ、
古くからの建物、佇まいなど、ヒューマンな
スケールが街並みを構成させているのだろう。


そのような根となる大地に刻まれたもの違いを、
歩いて眺めると肌で感じる事ができる。


このモニュメントのいわれはわからない。
これが現在、活躍しているのかもわからない。
けれど、この大きさの似合う街並みに在る。




そのモニュメントから斜めに街中を貫いている、
「フロンティア通り」の先にも彫刻があった。


人ほどの大きさの彼女達、街並みにどのような
作用をもたらしているのかは定かではないけれど、
容易に街並みに溶け込んでいるように見える。


札幌駅前にも彫刻があるのだけれど、おそらく、
多くの人は気が付いてもいないような気がする。




芭蕉が通ったらしいということで「芭蕉通り」。
古い民家を改修したものだろうか、居酒屋と
対となった古美術商。可愛らしい大きさだなー


この大きさの似合う生活空間は実に魅力的だと思う。




奥州海道を挟んで向こうに「安積国造神社」がある。
夜になり暗かったのだけれど、灯が灯っていたので
寄ってみることにした。




振り向くと表参道が見える。
奥州街道を超えて「なかまち夢どおり」まで伸びる。
おそらく祭りの時は賑わうのだろうな。




鳥居を超えると石を挟んで二手に道が分かれる。
普通は真っ直ぐに神社に辿り着くような気がする。


境内は向かって右手に広がっていたので、
先ずは左側から順にたどろうかと考える。


境内にあって鴨居ほどの高さの鳥居が重なる。
奥に佇む小さな佇まいには「白王稲荷神社」と
記してあった。狐に守られていた。




鳥居の右手にあるのが「安積国造神社」。
「安積天満宮」とも案内されていた。




この天満宮の両横にも二つ、このような具合に在る。
ここはどうやら、神様がたくさん集う場所らしい。
見晴らしよく郡山を見下ろせる丘の上。




そして、「おかめ」。暗闇に発見した時は驚いた。


おかめだと思うのだけれど、これ一体何だろう?
境内から街へ張り出した一角の鐘突堂のような
建物の梁に取り付けられた巨大な面、なぜか
30度程傾き、境内ではなく街を伺うように在る。


ちょうど参拝者を鳥居下に見下ろすような位置、
守る何かにしてはおかめですし、迎えるにしても、
知らずに夜に出会えば飛び上がりたくなるような・・・


何事か知りたい。




境内をそのまま右へ抜けると「さくら通り」に出る。
この道はそのまま「駅前通り」へとつながる。
神社が小高い丘の上にあるのだから当然、坂道。


見える建物は傾斜なりに階段状となり、連なる。
反射板が上部を覆う街灯は光を巻き散らかさず、
光源ではなくその反射板が点々と連なり見える。
よく見ると背が低い。


反対側を走る自転車が写真に良く写っている。
目抜きの通りだろうに、人の在る風景が似合う、
心地よい大きさに思える。


この街を見守る神社の控えめな大きさ、
大きいとまでは言えない境内の映える街並み。




振り返り見下ろすと遠くに郡山駅舎が見える。
この傾斜は阿武隈川の氾濫が作ったのだろうか。
こういう立体的な光景はとても印象に残る。




駅前通奥州街道の交差点、ここは特に車の往来が
多い一角であったけれど、ここには彼等が居た。












街を歩く楽しみは、今風に言えばブラタモリ的?
昔から、知らない道への興味は尽きない。


建築を見に外国へ行った際も、地図を片手に、
出来るだけ多く歩くようにしていた。
歩くと、様々な事を知る機会となる。
時間も労力も、根気も要するのだけれど、
その甲斐のある楽しみが約束されるように思う。


この感覚は建築する時には何時も発揮される。
「敷地」を見る時は周辺まで眺め歩き回る。


歩くと、体がその場の大きさや距離感、空気を
覚えて行く。設計では重要な糸口になるだろう。


田舎町だと不審者にみられることもあるんだけど。