洞窟探検隊! その4

出会った木仏が円空仏とは違うらしいと知り、
しかし、磯で出会った巨大魚に興奮し、
その旺盛な食欲を目の当たりして感じた生命力、
事の外、得られた充実をもって入江を過ごす。


違う谷筋にあるらしい小幌の秘境駅を求め、
着た沢を少し戻り、新たな道に分け入った。


登山を経て辿り着く。発見、小幌駅
なんとなく、納得してしまえる秘境駅との出会い。
保線のための、職員のための駅とも聞いている。
なにせ陸路のない、珍しい駅。鉄ちゃんの憧れ?


道中一緒になった神奈川の方を含め3人が、
線路のこちら側、撮影者側にも居ます。


上り下りの複線、トンネルに挟まれた、
100mに満たない区間に駅がある。


無人駅。反対ホームには線路を渡り歩く。


線路は、その両端共にトンネルの闇へ消えて行く。


一度目の電車は各駅電車。ゆっくり現れ、消えた。
鳴り響くブザー音。次が来たのかとカメラを構える。
各駅電車が来たものとばかり思っていたのだけれど、
トネンルから響き伝わる音に遠慮が感じられない。


突如現れるディーゼル機関車
躊躇なく全開で眼前を走り去る!
ので、写真はちょっと腰砕けだ!


電車は2本も見たし、久しぶりに線路で戯れ、
草地に沈んでしまいそうな駅を楽しんでしまった。
日差しが実に心地良い、お昼前の一時だった。





駅から国道への道はないのか?少々探してみるも、
垂直に登りかねない上に、まともな道は見当たらない。
素直に来た道を引き返すことにした。


高見から出会う、先の入江。この桟橋は漁師船の
船着場だったらしい。まるで舞台のようだ。


洞窟遺跡は縄文の、とは聞いていた。しかし、
海岸縁の洞窟など縄文の最盛期には海底に違いない。


ここから陸路30kmにある有珠モシリ遺跡も海岸縁。
そこは続縄文の遺跡だ。小幌洞窟遺跡が遺跡ならば、
それは明らかに、ここ2千年内のものに違いない。
太鼓のロマンではなく、結構、最近のロマンだろうか。


けれど、当時の人がここを選んだ理由は想像できそう。
陸路は草や笹藪、冬でなければ移動は非常に困難だ。
しかし、海なら容易。海路は重要だったに違いない。


有珠モシリ遺跡までは海路なら25kmほどだろうか。
襟裳を超えて苫小牧、室蘭を経て道南は恵山、函館へ、
その道を辿るなら、ここは恵まれた港に違いない。


こんこんと湧き流れる泉、雨風を凌げる入江に洞窟、
先にある長万部からは現代の5号線沿いに日本海にも
出ることが出来る。貴重な海路の寄港地だったのかも。





ちなみに、続縄文の遺跡である有珠モシリ遺跡では
数々の貴重な発掘があり、伊達で見ることが出来る。
イモ貝(沖縄産)の貝輪、熊が克明に掘り込まれた
骨角器、銛先などとても素晴らしい。その精緻な様は、
考古的、博物的というよりも、既に工芸的に見えます。


写真は開拓記念館で描いた有珠10遺跡の銛先。
有珠10遺跡とは有珠モシリ遺跡の事らしい。
実に古い記述の博物館である開拓記念館、
間もなく1年半に及ぶ改修のため、閉館だという。


この巨大な銛、磯の主では呑み込む事も出来ぬだろう。
ハープーンではないが、海獣か鯨でも相手にするサイズ、
2000年近く前の北海道の住人は既に、そういう人達だ。


場所や距離を考えると、小幌洞窟遺跡を使った人々も、
何かしらの縁があったに違いない。そう思い眺めると、
点と点がつながり広がり来るのを感じてしまう。




来た沢を登り、戻る。


綺麗な湧水が絶え間なく流れ、我々の道を邪魔する。
日本ザリガニを探せなかったことは心残り。


低温で高湿の気候だとしても、朝の森に見た、
露に濡れるの葉が正午過ぎにも残っているとは!
森の深さ故なのだろうか。


しかし、綺麗だなー。
一々葉のギザギザに滴を蓄えているだなんて、
考えたこともない素敵な装飾だ。







どうにも、北海道にあった風景を見たい衝動がある。
縄文という文明ではなく文化を実感させられる生活が、
どのような環境に育まれたのか?興味は尽きない。



人がかつて住んだとされる場所は一切の漏れなく、
どこも素敵な場所であることを実感している。


現代は、当時とは価値を違える条件は少なくはない。
けれど、心地よいと感じる感覚こそ、建築を考える
上では欠かせない、学び習うべき経験ではと思う。