西陽。

陽・・・光を得た時は出来るだけ感知したい。
そして、その光を楽しみ、感じたいと願う。


妙な光色を感じアトリエの窓から眺める春の夕陽。


久しぶりに陽を浴び続けて疲れたような風景が、
暮れる前に色付いた強い光を浴びて影を多くし、
コントラストのみで作られる深い陰影の中に、
雨上がりのしっとりした中に浮かび上がる光景。




西日はあまり肯定して設計はしない。熱さ伴う、
日常では余剰のもの故になのではあるけれど、
既に朝は陽を見るには早く、見る余裕もなく。
思えば西陽は休日の夕暮れに眺めるだろうか。


低く大気を多く透過し辿り着く暮れる前の光は
殊更強く明るく熱い。この光の妙、捨て難い。




ハイサイド・ライトは基本、北側に設ける。
北側ではあるけれど春分以降は陽は北に沈む。
ある現場、夕暮れ時に注ぐ低い日差しに驚く。
勾配天井に映える程に低い高度があるとは。


この住宅、お泊りさせて頂いてもいる。
朝は・・・弱いけれど、朝日でもこの風景を
確認する事が出来た。




建築竣工時は基本、終日をその場で過ごすよう努める。
引き渡される直前までは自分の建築と思う。
その建築が、具体的にどう生活を支える器なのか、
得る光から確かめる、私にとって重要な時間。


この住宅、西陽が思いがけない現象を起こしていた。
低い日差しはドマの奥深くまで到達し、そのドマに
映えて光線を反射、階段の段板に陰影を生み出した。




二つの事例、どの季節にもあるものではなく、
ある季節にそこにある陽が生み出す光景。
刹那ではあるけれど、間違いの無い機会。




故郷にある建築、その室内、暮れ行く最中の一枚。
人の目は確か、この時は照明なしで十分に明るい。
写真は柔軟ではなく、ただ、明暗を写し撮るのみ。
そのおかげで撮れた一枚。


正面が西、右手の北側からの光、左手南の光、
その多くは天空、空に残る光により、室内の
光空間が創られている。
窓ガラスを濾すと、光は残りわずかだと分かる。
その少ない光量にも関わらず、空間は宿る。


生死、自分、時と向き合う場を設計した。
住宅であっても、同じように取り組みたい。
僅かでもこれを教授し、創られる建築、その空間。


最後の写真の光景は想像していたもの。
これを創造できたのだと確信した一枚。


人工照明を使えば、再現性が担保できる。
しかし、作られたものに感銘は生まれない。
この光も、季節や天候に左右されるもの、
眺めた時、その時折で表情は変わる。
変わればその都度、想いを馳せる空間となる。


真摯に向き合える空間にも、
楽しむ事の出来る空間にも、
如何にもなる建築の可能性を模索したい。