親分。 【編集中】

かつて建築現場には親分が居た。
私の世代では既にお目にかかる事は難しいのだけれど、
先日、とある親分のお疲れ様会が催され、声を掛けて頂いた。
出席者の顔ぶれを見れば、出席してよいものか悩ましく思うも、
この機会にたくさんの話をお聞きできればと思い、楽しませて頂いた。


親分とは当時、帳場とも呼ばれていた。帳簿を預かる人である。
親分とはつまり現場監督の事であり、今は現場代理人とも呼ばれる。
施行者の責任者として「安全」「工程」「コスト」を管理する職種。
親分と呼べば、どちらかと言えば施工屋に近い印象だろうか。
当時はコスト管理が現場に委ねられ、悪いことをしようと思えば、
いくらでも出来ただろう。私服を肥やした方も少なくないはずだ。
今は会社が利益を管理するので、現場には采配の余地は殆どなく、
よって胃が痛むような現場代理人を見る事の方が多いように思う。


親分とは現場を奮い立たせ、施工屋の意地に賭けて最良の工事をし、
そして皆を喜ばせる事の出来る人の事を言う。


大工の棟梁も同意かもしれない。職人だって近しいものがある。
現場を仕切り、工期内に安全に確実な仕事をすることが、どれほど
大変で技術を要するかは、設計者たる私は想像しか出来ない。


これまで幾つも建築現場を見てきたけれど、親分の仕切る現場の、
その安心感は絶大だ。現場の雰囲気が違う。ものを造る情熱に溢れる。


法制度も変わり、大工も含めて親方が存在し難くなっている今、
良いこととしても現場はサラリーマン的職場にもなっていて、
また、ミスは許されずに直ぐに責任問題に発展することもあり、
現場から活気が伝わるのを期待するのはとても難しい時代だ。




この親分とは5年程のお付き合いでしかないのだけれど、
武勇伝や豪遊の話にいとまはない。ある世代以上のゼネコン、
サブコン含め、誰しもがしる名物親分でもある。


地下鉄はススキノ駅を初め多数を、地下街も施行された方。
今の自分が眺める札幌の風景を、実際に施行された方だ。
当時は何の仕様も定まらず、現場は正に挑戦の場であったらしい。
同席された当時の盟友との掛け合いは漫才のようで、
けれど、その現場を監理させられたら寝れないだろうと思える。


誰かが、責任を持って始末を付けなければならない。
全ての尻拭いの出来る人でなければ、親分は務まらない。
逞しいと思える程に臨機応変で、必ず仕事を纏め上げる。


どう始末を付けるのか?如何なる状況でも出来るのが親分だ。


出席された私もお世話になる会社の、私は知らぬ会長に諭された話を、
お聞きした。彼が50歳程の頃に出会い、上役を他所に必ず彼が呼ばれ、
いつしか説教になったらしい。当時の彼は、会社が儲かれば良いのだろう?
という勢いでもあったらしいのだけれど、諭されたのは、
「人のために仕事をしなさい。」という事だったと聞く。


面白おかしく武勇伝を聞く会だろうと思っていたのに、
建築に携わる者の心持を真摯にお聞きする機会となった。
親分は全ての役職を解き肩書きを捨てた今も現役だった。


どう始末をつけるのか?ここ数年、見えてきた自分への課題、
特にこの一年はかなり明快に見えて来ていると思えていたのだけれど、
改めて知らされる覚悟を学ぶ貴重な機会でした。
・・・中途からは私はもちろん、皆様、ただの酔っ払いだった気はするのですが。


親分、お疲れ様でした。