課題

母校の室蘭工業大学、当時は建築工学科と呼ぶ。
名称は幾多に変遷しているらしいのだけれど、
建築系のOB会に『創の会』と言うものがある。
この会では学部3年目の学生の設計作品を評価し、
創の会賞を授与する慣わしが長らく続いている。
私も3年の時、頂く機会があった。


何の役にも立たない賞に過ぎないのだけれど、
頂くと言う事は評価を得られた証であり、
自信になったように思う。
・・・頂かずとも自信は失わなかったとも思うけど。


ふと声が掛り、来週はその審査員を務める事になる。
私で良いのか?疑問は残るのだけれど、
どちらかと言えば、緊張を持って眺めたいと考えた。
果たして今の学生はどの様な取り組みをするのだろう?


先んじて審査対象となる設計課題の内容が届く。
それがまるで一級建築士の製図試験の何かの様でもあり、
それを先生方の力作であると察し、なる程と思う。



住宅で言えばリビングや洋室と言った要求所室は必須として、
『どのような?』という事が問題となる。
実際の設計でも、諸室、スペースの要望があるのは常、
それだけで効率的な設計は出来てしまう。
世の中の建築の多くはそうかもしれない。


しかし設計とは?『課題』を考える所がスタートとなる。
問は誰も示してはくれず、自分で創作しなければならない。

住宅であれば、「どのような家」かを問う事になる。
問題をきちんと定義し、それをどのように解くのか?
設計は実に論理的で論法に従うものではと思う。




勇気を持って例えるのなら、例えば料理だろうか。


要求所室は素材や材料となるだろう。
課題は中華!や和食で!と言う具合になるだろうか。
解となる設計コンセプトがレシピに相当するのだと思う。


与えられた素材をどう調理するのかは自分次第。
・・・やや疲れた週末ではあるけれど、嬉しい事があり、
数人で楽しめるために中華を・・・とすればこれが課題。
これに該当する調理法がコンセプトたるレシピに相当し、
このレシピに従い素材を調理し初めて課題に応える事となる。


この例えが分かり易いのだか、どうなのだか。
酔って記すので、不安は残る。


設計では最重要となる敷地、予算という障壁に、
クライアントの言葉にならない真の要望を知る必要がある。
これを手掛かりとして課題を発案、解法を探し、
具体的な成果を求める事となる。
おそらくはどの様な分野でも同じ事ではないかと思う。




話を戻すと、学生は課題を与えられて一喜一憂する。
課題を出す先生は、その課題が面白いものであるか?
提示する時は緊張するのだろうなと思えた。


課題に対して、記されてはいない新たな問を含めて問題を再定義し、
全うに解くべく、しつこく取り組んだ設計成果に出会える事を期待し、
是非とも見させて頂きたいと願う。




自分自身、今抱える設計では未だ、課題の創出が出来ていない。
要望所室の理解は進み、効率的なプランは出来ているのだけれど、
課題を得るために既に何度も現地を訪ね、クライアントにお会いし、
日常を様々に見せて頂き、敷地への理解を深め、予算を検討しつつ、
でも、未だ。