四半世紀前の力作を載せる。

設計に取り組む際はいつも、ちらりとでも、
この自分の原点に立ち返る。立ち返ると、
想像以上に大きな壁にもなるのだけれど、
ここまで「やろうと」と初心を思い出せる。


建築とは何か?どこからが建築!?と、
果敢に挑み悩み抜き、ぶつかった時の設計。
その問いに立ち向かい得た成果は代え難い。


難しく述べると・・・
建築には本来、用途があり、機能がある。
用途、機能を無くし人との関係すら断ち切り、
考えた末の建築、それが私の卒業設計。


この成果のピンチは卒業設計発表の時だろうか。
構造系の先生から「これは建築か?」と問われる。


私の恩師にこのテーマを相談させて頂いた時、
出来るものならやってごらん、と温かい言葉を頂いた。
ピンチの際に恩師は最前列に出て、あの熱い語り口で、
周囲を煙に巻いて頂いた。申し訳ない思い。


12月末に父の死に立会い、その後2ヶ月で仕上げる。
鬼気迫れたのは父のお陰だと今も思う。


この表題、特別に絵の上手い後輩を捕まえて、
彼は濃い鉛筆を寝せて使う人だったのに、
確か、H芯をホルダーで研ぎ澄まさせて、
A1用紙一杯を極細の線で埋めさせた。
さぞ、厳しかったに違いない。
当初は、少しでも太くなると指摘した。
後半は、口出しなど出来ない程の彼の気迫、
私の意を知る出来る奴と出会っていた。


在学中は1年目から修士1年目の、5年上の先輩と
以後は全ての世代の先輩と関わり、同輩と共に、
彼らの仕事や成果を盗み見て学び、過ごした。
自分の成果は諸先輩等の切り開いた世界の上にあり、
この設計が後輩達に更に広い世界を示せるならと
期待したい・・・ポツンと外れに在るかもしれないが。


先日の審査、授与式の時に他の後輩から、
これの影響あるだろう後続が数世代に渡り在った事を
聞く機会があった。とても嬉しい。


母校の設計の、何かしら一端を担えたのかもしれない。
後輩たちは、より広義な世界に挑んだはずだろう。
きっと、もっと凄い事に挑戦したのだと信じたい。


EXISTENCE WILL
存在しようとする意思、と題した卒業設計は、
まるで自然の植物の如く、地表を多うだけのもの、
その地表との隙間に空間が生まれると信じたもの。
・・・SFだなー


とういう装置を様々に開発した。


卒業設計ではドローイングで終わったのだけれど、
後年、模型を制作している。実際に立っている。


これらには動く能力だけは与えていて、
風雨の際は身を伏せ、晴れれば背を伸ばす。


より大きな装置も考えていて、これをどうして
アクソメにまで起こせたのか?当時は懸命だった。


当時のエスキースを元に型紙を製作し模型を作る。
鬼気迫るだろう模型、キチ外じみている?


十数本の糸で姿勢を制御する模型は、今も手元に、
分解して保存しているのだけれど、改めて眺めると、
正直、怖い。こんなの再現できそうにない。


紙とプラスチックの棒、アクリル板と糸で作る。




これを学生たちに見せたいと思ったのは、
どこまで挑戦し取り組んで良いのかを、
その一端でも示したいと願ったから。
自分自身がそうであったように。
更に先を見せてくれる者が現れるなら嬉しい。