施工者は出会いかな。

これまで携わった建築の施工者、特に現場監督(又は現場代理人)は良く覚えている。
自分は施工者に恵まれている!と思えていたのだけれど、実はそうではなく、
『施工者は良い人』がノーマルなのかもしれない。
良い人、という意味は様々なのだけれど、良い建築を成すには良い施工者は欠かせない。


今携わる400㎡ほどの木造施設建築、これも良い方に巡り合えたのではと感じている。
信頼を置けると確信できた時の安心感は他には代え難い。
この施工者との仕事ならばと期待を膨らませられる事、何より楽しい。
仕事を楽しく感じられる事、これは本当に大切な事、良い建築の必須条件だ。


逆に・・・設計者はどうなのだろう?と考えると不安に感じたりもする。
施工者は『設計者は良い人』がノーマルだと考えているだろうか?
自分は、そういう良い人だろうか?・・・等と考えても仕方がないので、
少なくとも、自分が楽しく仕事が出来るよう取り組みたい。


この『楽しく』こそが大きなポイントになる。
簡単に言えば、無理を言っても応える関係が望ましい。
『楽』ではなく『楽しく』、これが非常に難しい。


今の仕事で出会った施工者は複数名があり、どの人も印象深く、同窓の後輩も在った。
中でも仕切られる方は正に『親分』である。今では滅多にお目に掛かれないタイプだ。
私が建築を実践始めた頃、心からお世話になった、ある親分が在る。
今も信頼を置く、揺るぎの無い判断の持ち主であり、誰よりも尊敬する方。
設計において指南して下さった方はもちろん数多く在る。
それが建築、施工側からとなると、正に彼が初めて私に現実を丁寧に知らせてくれた。
その親分と重なる印象の持ち主・・・本日は一手間多くなる仕上げを依頼をしたのだけれど、
手間を取れば『無理』と断られそうな、しかし彼はおそらく、怒号を飛ばしたに違いない。
窓口に居て作業して下さる同窓の後輩が、その事を笑いながら話してくれた。
こういう時は『ラッキー!』ではなく、気合が入る。気持ちが入る。
おそらく彼、彼等は、私の注文には「誰に物を言っている?」という具合の方々だ。
つまり、「出来ないとでも思っているのか!」という方々に類する。
挑戦し甲斐のある仕事になる事を疑えない。絶対に楽しく仕事をしなくてはならない。


今、他に大小二つの仕事で、以前にお世話になった施工者の方々に依頼する仕事がある。
一つは私と歳も近く、尊敬出来る方で、いろいろなアイディアのある面白い方。
私が正しく要望を伝えられれば必ず応えてくれる方であり、何とか成したいと思っている。


もう一つも、やはり信頼の置ける方。遠方での仕事であり、その地で信頼出来る方が
あると言う事がどれほど心強い事か・・・彼の仕事は何度か書いているのだけれど、
とても楽しい設計でもあったので、個人的過ぎる感想もあり、記載はやや遠慮、控えつつ。
・・・書き出すと止まらなくなりそうなので、止めておきます。


設計者は、そんな、つまり、優れた技能ある施工者と一緒に仕事が出来るだけ十分に
確かな要求の出来る技術者でなければなら無い。
楽しい仕事とは、ひいてはそれが、施主に取って価値ある成果の提供へとつながる。


今週末もまた、しなければならない仕事があるものの、
本日は夕刻に一先ず一段落したので、チョロチョロと書いている。




設計料は安くはない。そのコストはほぼ全てが私の仕事に費やされる。
値切られると、仕事量を減ずるしかないので、どこかで考えるのを止める事になる。
あと一歩詰めて考えればより良い答えが見つけられる!のを諦める?


対して施工者は事業の大方の費用を使う。私は管理ではなく監理する者。
『管』と『監』の文字違いは全く異なる業務となる。
如何に得るべき仕事成果を求めるか、設計監理は計画、実施とは異なる緊張がある。
施工者の利益を損なう判断は後に影響するので、それはしてはいけない。
出来る範囲の最大限をお願いし、引き出せるかどうか。
私が設計業務で感じる『楽しさ』は、間違いなく施工者には負荷になる。
建築家先生を気取り物を言うのでは現場は空気が淀み、荒み、緊張が失われる。
現場が楽しくある必然・・・施工者ではないのでわからない事に違いないのだけれど、
設計者は独りよがりではなく、造る人にとっても挑戦の甲斐ある仕事を創らなくては。
悩み、相談し、思案し、試み・・・そういう楽しい仕事を求める。


楽しい経験だったので良く覚えているのだろう。
一緒に苦労を共にして下さり、その末に良き成果を得られた仕事、再びと願う。
また、新たにと期待する。


滅多に書けない事なのだけれど・・・明日からは書く余裕のなく仕事に勤しみたい。