アプローチ

音更で取り組むお寺の建築はいよいよ終盤、
先日は外部足場が取り払われつつあった。
初めてその外観を街並みに見せた建築は、
まだ表情は硬く馴染んではいない様に見えた。
実際、仮囲いは在り地盤は作られていない。
それでも竣工後の姿を思わすには十分であり、
定例打ち合わせの為に訪ねた現場にて、
現場事務所より先に走り敷地に接する交差点へ。
あれこれ眺めて過ごした。
非常に鋭い鋭角な顔が街並みに顔を出していた。
周囲には申し訳ないけれど、仮囲いが取れれば
尚の事、街並みを使わせて頂き、何事かを
些細でさり気無く確実な変化を生み出すハズだ。
音更川に沿い折れ曲がる国道沿いに在る敷地、
殆ど多くの人は真っ直ぐ伸びる国道と認識を
しているだろうけれど、実際には微妙な角度の
道があり、敷地は変形をしている。
素直にこれを利用して使い、得た建築に成る。


既に様々多くの部分で仕上げ工事も始まり、
これまで果たしてきた判断の結果を示し始め、
緊張は果てしない。にも関わらず、建築の
全てをつぶさに見て回るには時間は足らず、
ともかく気が付いた点については問い伝え、
更に課題を検討しつつ・・・けれども、
目の前に広がるシーンには感じ入ってしまい、
足が止まり、目は釘付けとなり、佇む。


正直を告白すれば、ローコストと言うよりも、
安価な建築に他ならない。もちろん総コストは
一代規模の事業に変わりないものの、これまで
取り組んだ住宅の単価に及んでいない。
無理も無茶も無駄も許されない状況にあり、
それでも、出来る事は確実に取り組まなければ
ならない。『空間』、これはコストに拠らない。
そして『光』、これも全くコストに関わらない。
正しく取り組むなら、建築は絶対に可能だ。
これは疑えずに、本当にそうなのだろうか、
具現が出来ているのかどうか、確かめつつ。


常に定例での問いは決定案に至る事だろうか。
予算の範囲内で可能な事を探りつつ、無理を
要求したり、出来る範囲を諭されたりしつつ、
結果は上限に至れるように取り組んでいる。


6月に着工し、時期に半年が経過する。
計画をスタートしてからは2年が過ぎる。
紆余はあり、至る部分も至らぬ部分もある。
それでも驚くには、基本の計画は周到をし、
求めた空間の具現を求め工事が進む事。
本当に自分が考えた事なのかとすら思う。
敷地、元々のお寺の佇まい、様々な要望、
それを元に組み上げた私の思考と思い。
挑戦はまだまだ続く。諦めずに手を抜かず、
最後までと、定例で現場を見回す時は何時も、
初心を思い出す。


この現場は、見積もり時からある方の
お世話になっている。
今時分、ゼネコン施工では傾向がある。
営業と積算、現場担当とは異なる事が常。
住宅規模では違うものの、ある程度の
規模の建築ではそれが一般的かもしれない。
営業が積算を飛ばして契約した見積もりが、
現場レベルでは困難でしかなく、と言う事も
少なくはなく、苦笑いの現場代理人も知る。


幸運にも今取り組むこの現場は、積算から
施工管理までもが一人の方に負っている。


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学生時代はバスケットボールをされていた
と聞いた。体格は良く大きい人です。
怒られたら怖そうだけれど、でも何時も、
どの様な事態でも笑顔で対応、迎えて下さる。


写真はお寺のアプローチを玄関から望む。
大きな彼の背中がより大きく見える。
でも、手前の通路巾は2.4mを超える。
ゆとりは保ちつつも無駄に建築を大きくせず、
主役たる訪ね来られる人を疎外しないスケール、
映える光は綺麗で、照明時も計画がある。
逆を向けばエントランス正面があり、
ここも表札を含め整えている。
まだ未完ではあるけれども、闊歩する
現場代理人の背中の大きさは印象的であった。





もう直、私にも少し余裕が出てくるはず、
この建築に携わり経た経過を報告としつつ、
建築の物語として記す記事を書こうと思う。