墨出し

建築はある規模の際に現場事務所が設けられる。
施工者が常駐するに十分な仕事量のある規模。
一般的な住宅の建築規模ではないだろうか。


現場事務所には現場所長若しくは現場代理人
責任者として着任する。以前は現場監督と呼んだ
だろうか。何時からか、現場代理人と呼ぶ。
施工者の直接的な責任者となるのだけれど、
仕事は・・・「安全」「工程」「コスト」の管理。
コストについては見積もり含め、現場で行わない
ケースも今はある様子。


余談になるけれど、現場にコスト管理を任せると、
中には悪い事をする人も出てくるのだとか。
確かに昔の話を聞くと、豪遊された方も少なくない。
ただ、私利に囚われる人は信頼を薄くしてしまう。
安全は絶対、工程管理は契約上やはり絶対の事。
コストつまりお金を采配出来る現場監督は、正に
現場を仕切るに相応しい責任を負い信頼を要する。


自分の世代ではそういう方にお目に掛かるのは稀。
ただ、若い時はそういう方にとてもお世話になった。
何というか、「親分」と呼ぶべき人と言えるだろう。
私が親しくさせて頂いた方は、松形弘樹に似ていた。
最初は怖くて仕方なく、指摘は何時も的確でシビア。
設計への要求レベルは高く、いつも緊張を強いられた。
でも、その御蔭で現場の仕組がとても良く理解出来た。
実際、現場の事は本当に何でも知っていて、不足の
ある場合は自身で施工図を描けるのは当然、品質への
要求は高く自信に満ちていた。どんな難題にでも
応えてくれるだろう信頼を置ける人だった。


という方、木造なら棟梁となるだろうか。
これまで幾人か、そういう方と出会ってもして、
そういう仕事は楽しくて仕方が無かった。


話を戻す。


現場での代理人は、とても忙しい。
ある一定規模の建築となれば、それは役所工事か、
ディベロッパー、民間工事の際も手馴れた担当者が
「施主」として登場する事になるだろう。各種役所
への届出含め、打ち合わせは頻繁、書類整理含め、
多忙となる。目が回る程多くの人と接する業務だ。


多くの場合、次席と言い、実際に現場に出て管理を
行う者が付く。その次席も忙しく、雑用を担うだろう
「手間」となる若手がその下に付く。


ゼネコンの仕切る現場はそういうヒエラルキーが在り、
代理人はそこに至るまでに全てを経験し学ぶ事になる。


今のお寺の現場には次席はなく、現場代理人が多くを
処理されていて、いつも忙しそうだ。定例はどうにも
これまで終日でもあり、その間に幾人も業者や職人が
来てはあれこれと打ち合わせをされている。
この現場には手間を担う若手が居て、彼等の仕事は
見ていて実に面白い。


現場の環境を整える事、これは特に大切な仕事だ。
聞けば仮設トイレのトイレットペーパーを用意する事も
仕事の一つ。トイレが使えなければ現場が滞ってしまう。
まさか、現場代理人がトイレットペーパーに奔走されては
現場打ち合わせもままならない。


手間は現場勉強期間の若手とも言えるのだろう。
設計者である私が直接知る事はないけれども、どんな
仕事があるのかを彼等を見て知る。本当に地道。
現場の掃除は当然、それが行き届けば仕事環境は綺麗だ。
不足や不明を解き、適切に現場が動き、職人が仕事の
出来る環境を提供できるかどうか、問われる。
実際、出来る現場は非常に綺麗で滞りがない。
これは一目瞭然。影の仕事が適切であればこそ。
そういう地道な仕事を経験し覚えなければ、上に立って
管理する事が出来ないだろう事は明らかだと思える。




そんな手間となる若手がある日、墨出しをしていた。
墨出し・・・これは実は最も難解で最も大切な仕事だ。
大きくそもそもは、敷地を特定し、どこに建築するか、
その位置出しも同じ事だ。
設計では敷地も建築位置も明快に描けるものの、
現場では何を基準にするか、境界石が信頼できるのか、
設計図と敷地が合致しているのかに始まり、誤差が
あればより安全側を計り考えなければならない。


写真は、これから仕上げ工事という段階でのある部分。
家具の設置位置について、手間となる若手が出した墨。
この線に沿って家具が配置される事になる。


「大丈夫?」と聞けば「大丈夫です!」と帰ってくる。


測量はレーザーを使っても、実際に描く線は今も墨壺。
墨壺に浸った糸を伸ばし、弾き打ち、描く。
真っ直ぐに描かれている。図面で描く線を現実の世に、
記す行為には特別な思いがある。その線は仕上がれば
消えてしまうけれど、設計の意図を現場に反映させる
絶対の基準となる。


・・・「大丈夫です!」と帰ってくれば、信じるしか
ないものの、不安も隠せない、かな?
曲がっていたら、大笑いしてやり直しを指示するだけ。
建築の現場は、そういう後に消えて隠れてしまう様な
しかし基準となる重要な仕事を重ねてこそ得られる。


私の設計監理する現場でも、これが日常にある。
描いた線が今そこにあり、消える事で意図を達成出来る。
多くの人が直向に工事に携わる事に感謝したい。