養老天命反転地

改めて「何だったのだろう?」と考えると何だったのかわからない。
ただ、楽しんだことを鮮明にに覚えていて、今でも「反転地的だな!」
と自分の一つの価値基準になっているような気がする。


新旧様々な建築を訪ね北陸中部地方を旅した時、ここも目的地の一つ
とした。怖いもの見たさ、だったのかもしれない。写真では理解できない
未体験の空間があるのではないか?と興味を感じていた。養老の山間を
借景する様は圧巻だったなー。


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怪しげな丘の先に忽然と現れる全貌・・・なんだこれは?よく作ったな
と思いつつ、あっさり誘われて呑気にすり鉢状の庭を下りだす。


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下りだすと眼前は一変する。視界は小山や木々、妙な建物で埋まりふさが
れる。足元は凸凹となり思うに進めず。水平垂直な基準はなく全てがねじ
曲がる。・ ・ ・ 安定がない。
野山の道なき道を探険した子供の頃の感覚だろうか?安全や心配がよぎると
怖くなる。進んで重力の感覚を肢体を通じて楽しむのなら、そう、日常では
経験しなくなってしまった感覚が嬉しい。


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底に着く。完全に囲まれてしまう。どう帰ろうか?無事で安易な道は見え
ないし、ここまで来るとそういう道は選びたくない。我が道を歩むのみ。
・ ・ ・ かなり苦労した。崖をよじ登るより立ちの悪い場所もある。





設計をしているとバリアフリーでフラットで、という流れに今はある。
刺激なく知覚すらさせない安全な便利さは、楽しさを代償としている。
大切なのは、その楽しさを失わないバランス感覚なのではないだろうか?
楽しさや面白さ、実は不便さや不安定さが欠かせない。


荒川修作氏の訃報が新聞に掲載されていた。彼のイメージを具現化する
には関係周囲の理解が欠かせなかったことだろう。この公園?で転んで
ケガでもされたら・ ・ ・ となればその機会自体を失ってしまう。
実作は現実的な、計画空想中は精神的なバリアーを真に解き払うことに
大きな野望があったのだろうか?養老天命反転地の底に立った時に覚悟
した「我が道を歩むのみ」という感覚を活き活きと思い出してしまった。



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北海道がみえた!。目線では日本地図がやんわり分かる程度だったと思う。
近隣の建物と比べると相当巨大であることがわかる。是非また訪ねてみたい。