【 bookshelf 】 の空間。

この住宅はとても大きな家なのだけれど、それを大きな空間のままプランをしていて、
それがあまりにオープンなので、設計当時の自分は勇気があったなー、勇敢だったなー、
挑戦者だったんだなーと改めて思う。
そして、そこに10年住まわれたオーナーが在り、無理なく楽しまれている様であり、
携わって良かったと心から思う。

『ドマ』とは要は、あれば楽しい。視線のみならず行動をも伴う外への距離感はやはり魅力的で、
外もプランの一部であり、とすると室内に留まる事のない広大な家に思えてくる。
寒く雪ある北海道では、窓が大きければ外の一体感がある!となど言えないので、
実際に使い勝手の良さがあればこそ。


居室で落ち着いていると、いつしかその『ドマ』は外のように感じられ、
2階に居れば吹抜けの向こうは外かな?という具合となる。


不思議な事に、オープンに連続室内なのだけれど、奥まる居室各部に納まると、他の居室は見えず、
音や気配はあるものの丸見え状態とは違い、各々は適度な大きさに納まるものの、
ドマを通じる大きさは感じられるので閉塞感などなく、でも、奥は適度に囲まれていて安心感もある。

低く抑えた階高故にリビングの天井は高いわけではない。ではないけれど、
やはり2階までの総吹抜けのような過剰さのない慎ましいドマの吹抜け空間の具合と相まい連続するリビングはごく自然に繋がり、
そこから更に奥にあるダイニングの空間は、さらに天井が極めて低く抑えているのだけれど、窮屈に感じることがない。

実際、このダイニングで飲んでいると、イノベーターの椅子のせいなのかどうなのか、根を張ってしまう。
居心地の良さとは、こういう事なのだと自分は考えている。高価な仕上げや見栄えではなく、
本当に落ち着くにはどうあるべきか?考えないと言葉だけの居心地は売り文句でしかなくなってしまう。

天井高さをどう差をつけて設えるか、仕上はどうすべきか、採光をどう工夫するか、照明はどうしよう?
何より、ドマからどう導き座らせるかまでの物語りが欠かせない。


ただ、空間は写真には写らない。何百かおそらく千を越える様々な建築を見聞してきたけれど、
これは事実で、アルテの彫刻すら当然、実際に実感しなければ理解はできないもの、
これを設計するのは並みの事ではなく、故に楽しく、それが実現して実際に住まわれている様を眺めるというのは、
怖さをもちろん伴うのだけれど、やはり、嬉しい。

設計した以後の住宅の多くのオーナーには、実際にこの住宅を案内させて頂いた方は少なくない。
知識ではなく、実感として知っている事は重要で、それを担える設計があれば、他にはない生活環境を築けるかもしれない。


とりあえず、木張りの外壁の一部に汚れ、塗装の劣化が見えてきていたので、
来春は二度目の塗装だろうか。私も参加したい。腰を思うと悩むけれど。


このLDK風景、想像はしていたものの実際に招かれ、立ち振る舞いを眺めると既に迷いはなく、
慣れた様が随分前から確認できていた。その場に合わせて選曲し流してくれる音楽も含めて、素敵な家です。
素敵と自分で言うのは変なのだけれど、既に私のではなく、この家なのだ。

先日訪ねた函館近郊の住宅もまた、使い慣れた風景が既に板についていて、同じ事を実感している。



今宵もまた夜更け、飲んで書いているのでやや少し、盛り上がっているかもしれない。