暑い・・・と、声に出てしまう。

PMFはフリーコンサートに2度行っただけだった。
暑くて逃げた先はキタラの小ホール。
シューボックス型の音楽専用ホールは奏者との
距離も近く、何より、音に包まれるあの感触が
たまらなく気持ち良い。


弦楽器は興味引かれる。強く張られた弦に弓を
均質に当てて引くという動作は実に不自然だ。
弓をフラットで平行に動かすには、肩、肘、手首、
恐らくは腰から連動する回転運動が必要となり、
極めて独特な動作、にも関らず実に洗練されていて、
非常に美しい所作を眺め、うっとりと出来る。


キタラを出た後、近所の八窓庵を訪ねる。
今流行りの黒田官兵衛も親しくしていたらしい
小堀遠州作の2帖の茶室が何故か札幌に在る。
窓越しに実に涼しげな一枚を。



その屋根は薄い。幾重にも薄く重なるその一枚も、
やはり幾重にも重なった一枚。奥深い表情。


札幌国際芸術祭を見ようと、札幌資料館を訪ねる。
資料館は良い建築でもある。ふと見上げると、
入口上に目隠しをされた人の顔・・・なんだろう?


元々は札幌控訴院だったこの建物、その名残。
どうやら目隠しをされているのは古代ローマ
法の神らしい。目を閉じ、周囲に惑わされずに
真理を見極める、ということらしい。


知らずに見ると意味深、なぜ目隠し?とも思う。


その顔の両サイド、柱の上、柱頭には天秤がある。
何をか計るのだろう。



魔除?とも聞くラーメンマークは控訴院の中の
壁面のモチーフになっている。


おまけにカタツムリも居る。
石造りの建築を考える際に、西欧の建築やローマ
所以を調べ、様々に用いたのだろう。
おそらく当時最先端のデザインだったに違いない。



裏庭に出ると何やら壮大な構築物と賑わいの声々。


走ろうと決めていたのだけれど、ロープで囲われ、
厳重なので、こっそりというわけには行かず。
写真を撮って我慢する。


建物は良く、目隠しをした人が在る適当な場所。
大通り公園のビールパーティー会場を押しのけ、
この庭の構築物が目抜き通りにまで伸びる日が、
何時か来るだろうか?雪祭りのように。
その時に改めて目隠しをして考えてみたい。


そうしてこの日、最後の目的地の近代美術館へ。
徳川財宝も見てみたいところだったけれど、
国際芸術祭の方へと進む。珍しく撮影OK。



岡部昌生氏による夕張炭鉱遺構のフロッタージュ。
要は紙を持っていって鉛筆で擦る作業の傑作。
その大きさ(広さ)、写し取られた痕跡のリアルさ、
何かが一気に広がるような思いがする。


床壁に、夕張のリアルなテクスチャーが広がる。


スボード・グプタ氏の迫力満点の彫刻あり、
それにアンゼルム・キーファー氏の飛行機もあった。
この飛行機が世に何機あるのかは分らないけれど、
随分前にヨーロッパのどこかのコンテンポラリーを
扱う美術館で見たことがある。同じ飛行機だろうか?


どうして良いのかわからない。というのが本音。
時にハイな状態で創作されたものも少なくはない
コンテンポラリー、それら常軌を逸したものとも違い、
むしろ内面深くの感情が形を成しているように見える。


強く心を打たれそうな予感、その準備をして眺める
のだけれど、素養不足か何かを響かせる事ができず、
肩透かしとなってしまう。


今回、再チャレンジをしてみたのだけれど、やはり、
どうして良いのかわからずじまいだった。
いつかまた臨もう。※この飛行機は撮影禁止でした。

中谷宇吉郎さんの雪の研究は特に素晴らしく響いた。
雪結晶の写真が沢山あり、その多様さに驚く。
四花、広幅十二花、段々つづみなどは実に不思議。
内角が60度とはならない結晶もあるのかー

雪の結晶を人工的に作る、という展示もあった。
ガラス筒の上に水を浸したスポンジをセットし、
錘をつけた糸を足らす。下はドライアイス
セットすると、半日程で結晶が育つのだと言う。


どのような具合なのか、幾つかあるガラス筒、
中は様々に展開している。係りの方はそれを
個性と呼んでいたのだけれど、個性と言うより、
もっと些細な差がその違いを見せるように思う。
・・・それを個性と呼ぶのかもしれないけれど。



週末の出来事、小分けすれば良かったのですが、
何となくまとめて書いてみた。