「やっつけたな!」


岩内漁港、もっと綺麗な岩内もあったのだけれど、
車を止める余裕もなく、通り過ぎてしまった。




「やっつけたな!」


有島武郎の『生まれ出でる悩み』の中の一言。
綺麗に丁寧に誠意の感じられるこの本にあって、
この一言だけは心からの言葉であるように思う。


思わず、声が漏れたに違いない。実際、そう思う。


この本は北海道の絵画史の礎となったであろう
鹿追の神田日勝と並ぶ岩内の画家、木田金次郎の
事が書かれている。読んでみたい本だった。


ここ2年程の間、主に純文学にはまっている。
どうしてそうなったのか?自分にもわからない。


若い頃に読書をしなかった反動なのか、若い頃に
読んでおけばという本を手当たり次第にしている。
と言っても、そのペースはあまりにスローだけれど。


カインの末裔』はひどく面白い本だった。
ふと手にした有島のこの本を読み終え、岩内を
訪ねたいと考えていた。木田の美術館がある。


小さな美術館なのだけれど、充実した一時を
過ごさせてくれた、新鮮で鮮烈な空間だった。


近代美術館等の常設展や企画展で、しばしば
見たことはあるけれど、まとまって眺めるのは、
はじめてのことだった。


対象を、自分の心象に写取り、写した像を忠実に
キャンバスに再現する、そんな絵なのだろうか。


感じたものを、感じたものだけ、見えたものだけ、
それらを描く行為は印象派とも抽象とも言えそうだ。


彼の見えたもの、それは今も見ることが出来る。




『そい』 1953年 


この絵が、見た中で特に興味をひく一枚だった。
大きな口、とげとげしい背びれや胸ヒレ、硬い鱗は
一枚一枚が飛び跳ねるようであり、そして大きな目。


正にソイだ。ソイ以外のなにものでもない。


1954年、岩内の町は大火で焼けてしまったらしく、
彼のアトリエも千数百枚の絵と共に喪失したらしい。


以後の彼の絵は、より磨きがかかるようにも見える。
どんどんと突き進む世界は心象が磨かれた世界でも
あるらしく、彼の心の内をそのまま覗くかのような、
迫力を感ぜずにはいられなくなる。


恵まれた自然の世界、そこで一人の人間が出会った
光景が変わりなく再現された絵を見てきた。




『生まれ出ずる悩み』では朴訥で素朴な青年に
描かれていた木田なのだけれど、写真を眺めると、
背は高く、姿勢はよく、頭の良さそうなインテリ、
物語は作りすぎではないかと思えてならない。


たまたま居合わせてご婦人と話を交わした。
描かれた絵の浜辺で遊んだ事があるという方、
その絵の描かれた年に生まれた!と話されていた。


以前はここで解説もしていたとのことで、
これは良い人に巡り会えたと感謝してしまう。


木田さんは悪い人で、でも頭は良く、時には、
恋文の代筆もしていたらしい。・・・面白い。


今でも彼の見た光景が残っているのだろうか?
ウニ丼を食べに行く、なんて理由でもつけて、
時間を作ってみたくなった。